楽器演奏の手弾きは、はたして手抜きなのか?重宝されるべきなのか?
ふと、そんなことを考えてしまいましたので、ここに書いてみようと思います
はてさてw
楽器演奏のありがたみ
楽器が弾けるってアドバンテージ(優位にあること)なのか?ってふと思いました
楽器が弾けるようになるには、ある程度の練習が必要
「練習」なんて生易しい言葉ではかたつけられない程の、鍛錬を積み重ねてこられた演奏家も決して少なくない
しかし、逆に要領良く(笑)ちょっとかじった程度で必要なフレーズは弾けるようになる人も少なくない……かも?
ともあれ、鍛錬を重ねていようが要領良く弾いちゃっていようが、楽器演奏を収録するには少なくともその楽器を弾ける腕と、楽器そのものが必要
楽器に加えて、マイクやオーディオインターフェイスなど、備品も必要になり、その備品に対する知識や経験も必要になる
ソフト音源のように鍵盤を押せば必要な音が鳴る!ってことはない(←言い方w)
ともあれ、肝心なのは演奏に必要な腕があったとしても、その演奏を収録するために必要な機材や技術が足りないと、いい音では収録できないってこと
この部分があるから、本気の収録になればなるほど、エンジニアさんの存在は貴重になる
(エンジニアさんはアーティスト界隈の苦手な理数系の知識を豊富に有しておられる)
ソフト音源のありがたみ
一方、ソフト音源はインストールしてある程度の設定が済めば、あとは鍵盤を押すだけ
またはフレーズを打ち込めば音が出る
そして、ある程度のアーティキュレーションで各楽器特有の奏法も再現してくれる
とっても便利!
ならば、楽曲すべての楽器の音をソフト音源に置き換えて、完成と言えるか?と問われれば、なかなかすべてにYes!とは言いにくい
やはり、楽器特有の存在感や演奏のブレ、メカニカルではなくフィジカルを感じさせる雰囲気は、なぜだか鍛錬を踏んでいない聞き専の人にも聴き分けられたりするから厄介だ
生演奏とソフト音源のいいとこどり
生演奏のよさと、ソフト音源の便利さのいいとこ取りをしているのが現状だと思う
制作の段階ではお金をかけていられないので、生楽器を録音している場合ではないでしょうが、それでも楽器を使って作曲をされておられる方は、さっさとその楽器で収録したほうが速い(笑)
作曲のあと、肉付けにソフト音源が多用されるのも理解できる
ギターだけを弾ける人はギターの音色を収録するのにわざわざソフト音源を使うことを面倒に感じることでしょうが、鍵盤を弾ける人にとっては、ソフト音源は無限の可能性を秘めている
そして予算の確保できる本チャンの音源を制作する段になって、必要な楽器は生演奏に差し替えて、ソフト音源でいけるものはそのまま調整に入ればいい
ソフト音源で振り返られる楽器のパートというのも、なんでもかんでも!ってわけにはいかないところでありますが、それでもロングトーンの続くパートなんかはソフトシンセのほうが重ねやすかったりする場合もある
各楽器の存在間を調整するのに、そのパートの低音域をカットして、その楽器のボディになる部分を削ってしまうのはよくある手法
メインボーカルとコーラスの差別化でもまずは試される手法でしょう
こうして前に出てきてほしい音にはズシッとしてもらい、奥に引っ込んでほしい楽器には音量以外にも加工が施される
こういった加工がすでに施されているものも多いソフト音源もその利用する場面を選ぶことで大いに活躍することが考えられる(最近じゃソロパートもこなせそうなソフト音源もたくさんありますがw)
マイケル・ジャクソンのアルバムから見るギターの存在感
マイケル・ジャクソンといえば、キング・オブ・ポップの象徴
とはいえ、マイケルのアルバムではエレキギターがとっても存在感を放っているものがある
私はそれほどマイケルに入れ込んでいたわけではないので、詳しいことは判らないのですが、それでもアルバム・スリラーがエレキギター中心のアレンジになっているのはとっても楽しかったものです(リアルタイムではないのですがw)
ギターソロになれば各ギタリストらしい、コピーするにも一筋縄にいかないフレーズの応酬ですが、歌のバックでは、ギター初心者にもなんとか弾けそうなフレーズになっているのが嬉しい(もちろんあのグルーブを出すには何年もの鍛錬がw)
その後、発表されたアルバム・デンジャラスからのシングルカット、ブラックorホワイトの印象的でかつシンプルなギターリフ
あれだけのシンプルなリフレインを、オーディションを勝ち抜いたスーパーギタリストに弾かせるツアーなんて、なんという贅沢な瞬間
あのリフレインは冒頭のコント(?)部分で演奏したガンズのスラッシュではなく、作詞・エンジニアリングで参加されていたビル・ボットレルさんらしい(Wikipedia情報)
あのリフレインが手弾きであるべきなのか、打ち込みであるべきなのか、はたまたワンフレーズ手弾きのコピペでもいい!なのか、意見が別れるところではあるでしょう
今、振り返ってみれば、アルバム・スリラー(1982年12月1日発表)でドラムパートを打ち込みでこなし、他の楽器は手弾きで重ねるといった手法をすでに打ち出していたマイケルの先見の明は、脱帽させられるところであります
統括
今、たまたま聴いていたSpotifyのプレイリストから宇多田ヒカルさんのFirst Loveが流れてきた
この音源がオリジナルなのであるとすれば、この流れてくる宇多田ヒカルさんの声は、彼女が15〜6歳の頃に収録された彼女の声だということになる
この事実に思いを寄せられるかどうか?においても、生楽器の演奏が収録されていることに対する考え方を左右するかもしれない
とあるプレイヤーの20年前の演奏だよ!手癖の感じはあるけどちょっと荒っぽいよねwとか、後々聴くことで感じられることがある
これは声に限った話ではない
もちろん、脇役で出しゃばってほしくないパートにはソフト音源が向いていたりするかもしれない
しかし、ソフト音源……デジタルレコーディングが一般的でなかった時代には、その脇役の演奏も、人が演奏していたのだ
そして、前出のように低音域(時に中・高音域も)を削ったりすることで出しゃばってくる存在感を削ったりして、聴かせたいパートを前に出す工夫を凝らしてこられたわけである
ただ曲を聴く……という点にフォーカスしてしまえば、楽器の演奏なんてなくてもいいのかもしれない
暴論と言えなくもなさそうな気がするのは、ボーカロイドによる楽曲がある程度、支持を得ているのは、声・楽器の音色ではなく、楽曲の中に価値を見出す人が一定数いる……という事実の裏返しではなかろか
しかし、そこから聴こえてくる楽器の演奏や歌に対して思いを寄せるような聴き方をするのだとしたら、すべてがソフト音源・ボーカロイド音源でまとめ上げられた音源では物足りなくなることでしょう(決してボーカロイドがダメ!って言ってるわけじゃありません!私も初音ミクさんにはご協力いただいておりますw)
とはいえ、商業的に成立する必要がある音源については、その時、その時代のリスナーが、曲に対して何を求めているのか?で、その答えは導かれるのかもしれない
この先、歌声や演奏に対して思いを馳せる聴き方をするリスナーは減ってしまうのか?
それとも、各種メディアの理解・協力を得て、人が演奏していることの価値を感じてくれる人が増えていくのか?
その流れは、一部のマニアのチカラだけではどうにもならない
だからといって、声をあげなくなるのもまた違う気がする
音源に込められた演奏の素晴らしさを、どう楽しめばいいのか
そういった声を挙げられる人がいなくならないようにすることも必要なのかもしれない
うんちくを触れ回るのって、うざがられるってよく聞くんですけどね(笑)
どうなりますやら
でわでわ