主観的な記事・客観的な記事

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サイトの更新を稼ぐためにコマメな投稿は不可欠。そんな投稿記事について自分の考えを整理してみようかと。主観・客観を軸に綴っていきます。

主観的記事・客観的記事

「主観的」「客観的」という言葉についてはざっくり流します。主観的は個人的なモノサシ。客観的は多くの人に共通するモノサシで見る価値観…といったところ。

なので主観的な意見は、賛同される場合もあれば反対されるケースも少なくない。

逆に客観的な文言は、誰の目にも明らかな自称を言葉にしただけのものなので、その表現を間違えなければほぼ指摘される事はない。間違えてはいけないのが客観的な事象を言葉のに表現する際、主観的な表現をしないこと。ややこしいw

つまり、仮に「2センチメートル」という答えが明確な時に、「大体指2本分の幅」という表現をするようなこと。この場合、指の幅は個人差があるので、誰が指2本の幅で測っても同じ幅にはならない。

何かの幅が2センチメートルな時は、ハッキリと「ここは2センチメートルだよ」と表現しなければ客観的とは言えない。

それをサイトの投稿に置き換えて考えてみよう…ということ。

先程のお話を前提に考えれば、主観的記事は自分個人的な意見を綴り、客観的記事は誰が見ても同じ事だけど、まだ見たことない人に対して解説する文章を綴る。そんな感じ。

主観的記事は慎重に

自分のサイトに対して検索流入を増やしたい…と考える場合、有利なのは客観的記事。

だって、あなたが余程有名でもない限り、知らない人があなたの個人的意見を求めてオンライン上を彷徨っている…ということはありえないから。

そんな個人的な見解よりも、何か調べごとをしている時にその調べ物を解決してくれるページが役に立つ。そして、その多くは客観的記事。何かを解説しているページということになる。

もちろん、主観的な意見を求めて検索されておられる方も少なからずいるはず。だが、その比率は圧倒的に客観的事象を調べている方に部がある。

この「…部がある。」というのは、単純にその総数を比較する…という事だけでなく、客観的事象の解説であれば、その答えは多く分かれる事はなく、主観的意見の場合は求めている答えが分かれる事がある点も含める。

客観的事象の解説は、その内容に不備がなければおよそ訪問者さんにとって有益な情報となるが、主観的意見の場合、必ずしも訪問者が求めている答えに添うとは限らない。場合によっては極端な話し、反感を買ってしまい喜んでいただけない場合もあることでしょう。

なので主観的意見というのは、なかなか扱いが難しかったりする。

主観的記事は書かないほうがいいのか?

では、主観的記事は書かないほうがいいのか?

それは時と場所を選べばいいと思う。

例えば、誰の目にも触れる公共の場で、自分の気持ちの赴くまま言いたい放題の意見を述べるのはやめておいた方がいい。それは通常の生活においても、オンライン上でも変わらない。ネットの中における公共の場…とは、ざっくり言えばSNSの公開されている自分のページがそれに当たる。多くのSNSでは自分のページを公開状態にすることが可能で、そのページには縁があれば世界中からアクセスすることが可能。

では、世界中からアクセスできるところでは自分の意見は書けないのか?

わたしはこう考える。

自分でドメインを取りサーバーを建て、自分で場所を管理していれば好きにすればいい。

もちろん、ドメインを取得し、サーバーをレンタルする際にはそのドメインを取り扱っている会社を介すことになり、その会社が禁じている利用は避けた方がいい。しかし、余程、法に触れる内容や人権を侵害するなど明らかに誰かを貶めるようなものでなければ、その範囲で自分の意見を好きに書けばいい。

ただ、その範囲というのはヒドく曖昧。

誰かが監視しているわけでもなく、反対意見の人がたまたまアクセスして噛み付いて来ない限り、特に揉めることがなかったりする。

注意していただきたいのは、法に触れる場合、身元は調べ上げられ然るべき処分が待っていると思われるので、「好きに書けばいい…」とココ(このサイト)に書いてあったから、なんて事は言わないで欲しい。わたしゃ、そんな責任は取れません。

ドメインを取り、サーバーを建て、サイトを設置する行為によく似ているサービスに無料ブログサービスなんてのもある。

この場合、その無料ブログサービスの運営会社の方で規約が縛りを利かせているので、ここでも無茶はしない方がいい。内容にもよりますが、第三者の通報であっさり閉鎖…ということにもなりかねない。

コンテンツとしての主観・客観

テレビやラジオ、雑誌や新聞といったインターネット以外のメディアは、そのコンテンツの中に主観と客観を巧く織り込んでいると思う。

ニュース番組でも、知らせる内容の軸は客観的事実を元に放送している。しかし、客観的事実だけでは視聴率が稼げないので、様々なコメンテーターを呼んでおいて主観的な意見を盛り込んでいる。

その主観的な部分で視聴者の気持ちに揺さぶりをかけ、印象を残し、また番組を見てもらえるよう計らう。

もちろん、客観的な部分をいかに解りやすく伝えるか?という部分も大事。しかし、それだけで番組が務まるのであればテレビ局はもっと少なくなるでしょう。

どういった番組を例に上げ参考とするのかで話はとりとめもなくなってしまいますが、あなた自信が面白い!と思う番組、記事を参考に主観・客観を盛り込むことであなたの記事は面白くなるのではないでしょうか。

小さい声にかき消される大きい声

最近はお笑い番組などの、バラエティ番組制作は大変だと思う。「視聴者を笑わせる」というテーマに向かってシナリオを書かなければならない。しかし、「笑い」というのは主観でしかない。見ている人全てが「笑う」なんて共通した感性などないからだ。

なので「主観」を軸にしたネタを番組側で考える事をやめるようになり、誰かが考えたネタを利用したり、どこかのお店が美味しい、どこぞの施設が楽しい、新しいブームはこれだ!などなど他力本願な構成が増えてきているように感じる。

わたしはテレビ番組評論家というわけではないので、実際にそれら番組の内容を調査・分析をしたわけではないが、多くの方がそう感じているのではないか。あなたもそう思っていたりしませんか?

マスメディアの構造上、スポンサーの存在は無視することが出来ず、サイレントマイノリティ(姿の見えない少数派)がチカラを注ぐ手段を手に入れた事で、制作サイドの身動きが取れにくくなってしまったのかもしれない。

そこにしかないモノを求めて

インターネットを利用した主張は、それを専業にしなければスポンサーの存在は気にしなくてもいい。自分の責任の下、自分の意見を述べられる世界だと思う。(←あくまでも捕まらない範囲でね)

先日も違法なダウンロードサイトが広告によって収入を得、運営されていたシステムが少し話題になっていましたが、専業で運営するにはスポンサーの存在は無視できない。(←もちろん運営内容の倫理的な部分もですが)

しかし、ある程度の節度を持って、兼業で行う独自サイトの運営であれば、自分の意見は世界中に発信出来る。

ここのサイトの話題を考えれば、自分の作品を世界中に発信することを可能としてくれるのがインターネット…ということになる。

もちろん、その発表する作品が多くの人の支持を集め、広告を取り扱うプロバイダサービスの規約が足かせにならないのであれば、専業で行うことも可能かもしれない。

事実、多くの方が広告収入でサイト運営を生業として活動されている。

ならばその仕組を、クリエイターの皆さんも大いに利用すべきだと思う。

そして、広告収入を手にする(多くのアクセス、多くのファンを獲得する)ためには、結局サイト運営者の主観的記事が有効だったりする。

誰に尋ねても同じ意見を聞かされる所にわざわざ人は集まらない。

どこにでもあるような作品を楽しみにわざわざ人は集まらない。

そこにしかない意見・コンテンツを楽しめるからこそわざわざまた再び訪れてくれるのではないでしょうか。

まとめ

専業であれ、兼業であれ、インターネットは自分の意見を述べるのに良い仕組み。

ただ、自分のサイトを立ち上げて、言いたいことだけを書いていてもなかなかアクセスは集まらない。まずは客観的記事でアクセスを呼び込み、ここにこんな主観を持ったヤツがいるよ!と見つけてもらう。

見つけてもらわないことには、何とかの遠吠え。誰の目に触れることもなく誰にも届かないのだから。なので、結局のところ主観的記事も客観的記事もどちらも大事…って事になりました。

オフラインでの活動が知名度をもたらしてくれるような場合を除いては。

屋号でアクセスされるようなサイトになればあとは主観的記事だけ書いていてもいいし、なんなら更新もしなくていいかもね(笑)。オンライン上で商売をせず、お問い合わせ窓口としてだけサイトを置いている会社のサイトみたいにね。

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