音楽で食っていく人の入り口

DTM

「これまで人生で音楽に1円も使ったことがない人間が、どうして音楽で食べていけると思うのか!」とは、とあるサイトさんに寄せられたご意見の中の言葉。

この言葉が拡散した直後には様々なご意見が飛び回っておりましたが、一段落したようです。

そんな流れを逃したタイミングではありますが、わたくしも自分の感じたことを綴ってみようかと思います。

経緯

ソフトシンセやプラグインエフェクトのお得情報をお知らせてしてくださるゆにばすさんのつぶやきで知ったひとつの現実。

つぶやきの中で引用されている短い文章だけでは話の筋が見えているようないないような…という感じですので、事の発端であるマネーポストWEBに投稿された文面もご覧いただきたいと思います。
音楽専門学校の講師を激怒させた「あまりにも酷い生徒レベル」 | マネーポストWEB

わたくしの周りにも1人、専門学校の先生を辞めちゃった方がいらっしゃいまして、その方からも「あまりのやる気無さに嫌気が差した…」という意見を聞いたことがありました。

マネーポストWEBの方にも記されておりましたが、入試の様な類は存在せず、入学金が払えれば通うことが出来る現実。

何を学びに行くのか?という本質をしっかり理解しないまま通っている生徒も少なからずいらっしゃるのでしょう。その方本人は至って真面目なのでしょうが。その事に対する良し悪しはまた別の話題ということで。

今どきはYOUTUBE、昭和ならTV番組

わたくしのタイムラインで見かけたご意見が、「これまで人生で音楽に1円も使ったことがない人間が、どうして音楽で食べていけると思うのか!」という言葉に対しての賛否。

それらの意見の中でYOUTUBEの存在が目立っていましたが、これ、最近だからYOUTUBEでお金をかけずに音楽を聴ける…となるのでしょうが、昭和の時代だってテレビでは音楽番組は最近では考えられないほど視聴率があったわけで、それらの番組がとっかかりとしては無料で音楽に触れるのは大きな入口だと思う。

音楽に触れるとっかかりが無料で始まるのは、まぁ、よくある話。

では、その後、お金をかけないまま音楽を楽しんだ方が音楽を生業にすることはどうか?

そもそもの話、他人様の音楽そのものにお金を払わない人が、自分の音楽にお金を払え!ってのは、なんだか図々しい話やなぁ…とは思いますが、今回はそこが焦点ではない。

音楽にお金を払わずに、他人様がお金を払ってくれるような音楽を創ることが出来るんか?ってとこ。

「お金を払う価値がある音楽」というテーマは、ちょっと要素が複雑に絡み合っているので、一言二言はもちろん、数千文字程度のブログ投稿では隅から隅まで賄うことは無理。

それを踏まえて、それでもわたくしの独り言に興味を持っていただけましたら、最後までお付き合い頂きたいと思います。「後悔させませんよ!」とは言い切れませんが(笑)何かの参考になれば幸いです。

やばい…経緯だけで1000文字超えてるよw

音楽に携わる業務あれこれ

音楽でお金を手にして、生業とする手段は多岐にわたる。作曲だけで成り立っている人もいればエンジニアさんのように段取りと注文通りの作業で成り立っている方もいる。お金から段取りまでをまかない、創作そのものに直接関わることなくアルバムにクレジットされる方もいる。そして、当然、音楽を奏でる事で生業とされる方がいる。

音楽にまつわる職業は、実に幅広い。

音楽に携わるからといって、必ずしも専門的な楽典が必要なわけではなさそう。もちろん知っているに越したことはない。

だけど、レコーディング・スタジオのアシスタント・エンジニアさんがセッティング中にケーブルをほったらかして楽典についてのうんちくを述べてきたら作業は混乱をきたすことでしょう。もちろん、作業が中断しているタイミングで意見を求められた時に答えられるのは株価上昇に一役買う。大金が注がれている現場ほど分業が徹底されているだろうから、なかなかそんなシーンはお目にかかれないだろうけど(笑)

となれば、エンジニアさんに求められるのは音楽的な素養よりも、電気的な知識や機材に対する知識が重要だったりする。なんなら去痰な話、音楽理論は知らなくても勤まりそう。

音楽に携わるからといって、音楽全体の知識を持つ人だけが集まる必要はない…と言えそうよね。

もちろん、知識豊富に越したことはないでしょうが、そんな事よりも、その分担され割り当てられた業務に対する専門知識や実績の方が重要。

とすれば、音楽そのものにお金を払ったことがなくても務まる仕事は何かしらあるかもしれない。ここでは今、アシスタント・エンジニアさんに悪者になってもらいましたが(笑)、アシスタント・エンジニアさんがこれから制作しようとしている音楽のジャンルに精通している方が作業は捗るでしょうが、そのジャンルにどっぷりハマっていないとしても仕事は出来なくもない。そんな線引きも出来るよね?って例で登場していただきましたw

アルバムジャケットを描く絵描きさんであれば、音楽的な知識がなくともその音楽から感じられるイメージをイラストに出来る想像力のほうが大切だったりしそう。知識よりも感性。こんな場合でも、音楽に携わったとは言っていいよね?それ専業って人はそう多くないでしょうけど。

レコード会社の法務部に務める方なんかですと、そりゃもちろん音楽は好きでしょうが、音楽的な知識よりも著作権に対する知識豊富な方が役に立つ。通常の業務で集中して音楽を聴く時間もそれほど長時間ではないでしょうし。こんな立ち位置の人だって一応音楽産業の中に生業を持っているといっていいよね。専門学校上がりでその部門に送り込まれるかどうかは定かではありませんがw

音楽がもたらす感動の源

いきなりトンガッた見出しをつけちゃいましたw

音楽の感動はどこからくるのか?

そんなこと、あまり考えたことなかったな。いい機会だ。この際、一度じっくり考えてみたいと思います。

歌が入っている音楽であれば、やはり歌詞も重要。もちろん、歌メロも大事。伴奏も大切。誰が歌っているか?って事も大きな要因。好きな歌手が歌っているから集中して聴くって事ありますもんね。

そして、何より何度も何度も繰り返し聴くに耐えうる音そのものの存在。

音色がしっかりとしていれば、ギター1本の弾き語りでさえ世界を征服できる事だってありえる。

オーケストラ編成によるダイナミックレンジの広い広大な演奏が感動させてくれることもあれば、4人編成の弦楽器に心震えることもある。

人の声…言葉の有無にかかわらず感動できる音楽はあるし、なんなら逆にアカペラの歌に打ちのめされる時もある。ジャニスのメルセデス・ベンツなんてたまらんでしょう?

音楽の感動の源に限定された答えを見出すのは簡単ではなさそう。

音楽を聴くシチュエーションやタイミングにも左右されることだってあるだろうし。

失恋したタイミングに失恋ソングで感情を刺激され、涙を流せるだけ流してカタルシスを起こすこともあれば、逆にアゲアゲなやかましい曲に励ましてもらえる時もある。感動の源泉って難しいやね(笑)

とりあえずざっくりとまとめてみるならば、広い意味での「音楽」には人の感情や本能を刺激してくれる働きがあるってことですね。

無理やりまとめちまったぜw

杓子定規

誰かと何か意見交換をする時、自分の経験値と相手の経験値に大きな差があると、その意見交換も噛み合わなかったり不信感が残ったりする。

チャートに昇りつめるようなヒットソングを創るための話し合いの時、お互いにヒットチャートについての知識があった方が、有益な意見交換が出来るハズ。この時、片方の人がある偏ったアーティストについての知識しか持ち合わせていない事が発覚してしまうと雲行きは怪しくなることでしょう。

逆に、とあるアーティストの今後の方向性について話し合うならば、そのアーティストの楽曲はもちろん、それまでの経歴の中でどんな活動があったのか…まで知り尽くしている人達が話し合うべきだろう。

この2つの例に出てきた人達のグループが集まって対立するような話題で話し合うと、いつまでも結論は見えてこない。

他人と話し合う時、その議題が深刻であればあるほど相手の経歴や実績、知識や経験はとても大切な指標になる。フランス料理を極めたコックさんに伝統的な和食の相談を持ちかけることはそうそうないはず。しかし、遠く離れたフランスで日本に憧れて、インターネットを活用して日本のことを研究しているフランス人の方に、日本人が感心させられることは絶対にない!とは言い切れない。

日本人より日本語を事細かく分析して学んでいる外国の方が少なくないのも事実。

つまり、どうやって学んだか?ということより、何を学ぶか?ということの方に着目しなければいけない。

ただ、その何について学んできたか?を揃え、ある程度同等の知識の人が揃った時、片方は実践経験があり、片方はYOUTUBEによる視聴のみ…という比較があったら、会話による知識披露に遜色はなくとも実践経験を持つ人のほうがその意見に重みが加わるのではないだろうか。

100万回「だし巻き卵の作り方」動画を見てきた人と、100回「だし巻き卵を作った」ことのある人の2人に意見を求めるとして、どちらの意見を参考にすれば安心できるか?


入り口として、テレビ番組やYOUTUBEから入るのは一向にかまわないけど、誰か他人様と比較される場面に出くわした時、どちらもYOUTUBEが入り口だったけど、片やそのままネットによる学習…片や部屋を飛び出し実践経験を積んでいる…となると、話が噛み合わないのは否めない。

差を生み出すのは、入り口が有料だったか無料だったかという点よりも、その後、どのような体験、経験、学習を積み重ねてきたかどうか?という長いところを確かめる必要がある。

音楽に触れる入り口が無料であったことだけを取り上げて、あれこれ言う…ってのは、どことなく腑に落ちないと感じていただけましたでしょうか?これぞ杓子定規ナリ。

まとめ

経緯で登場した専門学校の先生を辞めちゃった知り合いは、心構えを間違えていたのかもしれませんよね。音楽大学の先生になっていたのだとしたら、きっと、もっと長続きしたかも。

特に入試による振り分けのない専門学校であれば、どうしてもレベルの開きは避けられない。

年々増えているであろう学科(っていうのかな?)によって、様々な専門家が先生としてその席につくのだろうけど、入ってくる生徒のレベルと卒業後に求められるレベルを近づけるために悪戦苦闘する覚悟って必要なのかもしれませんね。

思い切ってやる気のない生徒をチヤホヤしながら卒業までこぎつけて切り捨てられる器用さとも言えるか(笑)

なんにせよ、入り口はそれほど重要ではないのではないかな?

お金をなんとか捻出して専門学校に入ることが出来たとして、その後、どんな人生を送るのか?までは、先生に責任を要求も出来ないでしょう。そもそもそんな要求は義務教育でも果たされていないしw

専門学校に入らなくとも音楽に携わって行きている人はゴマンといるし、もちろん専門学校でメンバーを見つけて「ロックだぜ!」って頑張っている人もたくさんいる。そんな彼らの音楽に触れた入り口はきっと十人十色に収まらない程、様々な出会いをされてきたことでしょう。

出会いがチープでも、その後の努力が実を結べばいい世界。

結果が全ての世界…とも言えるのかも。

発展途上国の子どもたちが、道具の少なくて済むサッカーでプロ選手を目指すように、音楽だってヒエラルキーに振り分けられるような世界なんかではないと思いたい。(売上の実績ではヒエラルキーが構成されちゃいますがwここでは入り口が…ってことね)

つまりは、入り口でいくら払うのか?よりも、入口をくぐった後、どこにいくら払い、何に時間を注ぐのか?ってことの方が大事よね?ってこと。

音楽そのものを創作出来る人はインターネットをドンドン駆使して世界中に発信してほしいし、音楽制作をサポートされる方は、オンライン上で迷子になってくすぶっている人を見つけたら、手を差し伸べてほしいとも思う。

様々な角度から音楽という分野に人が集まってきて、まだまだこれからも音楽が愛され続ける世界であってほしいと思う次第でありました。

マネーポストWEBの中に登場した生徒は、その後、先生の実績に尊敬を覚え、先生の指導を真面目に受け入れるようになられたようなので、卒業と同時に音楽を生業に出来なかったとしても、いい経験が出来、いい仲間に巡り会え、活動の場を広げることにつながれば、専門学校への入学もプラスとなるのではないでしょうか。

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